夜の森の魔女 18
夜の森の魔女 17
夜の森の魔女 16
恐怖のギャンブル
某通訳さん解雇の報を驚きを持って読みました
なんでもギャンブルで巨額のお金を失ったとか…
私は1度だけ競馬の馬券を買ったことがあります
それは好きなゲームのキャラクターと同じ名前の馬が出走するとのことで、100円をその馬に賭けたのですが、見事に勝ちました
1番人気だったのでいくらも儲からず、以来競馬はレースを見ることはあっても賭けることはしませんでした
正装をしてドイツのバーデンバーデンのカジノへ行ったこともありました
1000円ほどでチップを購入してルーレットで赤に賭けて1度だけ遊んだのですが、プロセスが面白くないので「それだったらゲームセンターでお金を払ってゲームする方が楽しい」と思って、後は一緒に行った友人が賭けるのをぼんやりと眺めていただけでした
コーラも700円ぐらいしたと思います
びっくりしました
私はアルバイトの後、4度転職をして今の仕事をしています
アルバイトをしながら親元を離れる資金を貯めたり、最初の職場には「長くいないんだろうな」と感じていたので、極力物は買わないドケチ生活を送っていました
そんな私ですから、お金には未だにシビアです
よく言えば倹約家、悪く言えばケチです
コーラが700円もするカジノは完全に場違いでした
旅行やフィギュアはなるべく早く予約したりして出費を抑えます
お金は楽しいこと、買ったものが手元に残るものに使いたいと思っていますが、ギャンブルはその過程が楽しいものに思えませんでした
また、私の金銭感覚は多摩で育ったそれだったので、ゲーム1回50円です
無料の更新型ネットゲームを楽しみにしていたり、とにかく安上がりな楽しみが身近にありました
今もコツコツ貯蓄をしていますから、大金を夢見ないと言えば噓になります
でも中年になった今では「私程度の能力と思い切りのなさでは、今の収入と貯金額は至極妥当」だと思います
ひょっとしたら、競馬やカジノのスリルに味をしめ、ハマっていたかもしれません
が、運よく私はそれらにあまり興味を持てませんでした
お金は様々な場面で私たちを助けてくれます
が、時に人を狂わせます
某通訳さんのことも、少し同情します
誰しもギャンブルにハマってしまう要素や入口に立ってしまう経験はあると思いますし、一度ハマってしまうとそれを抗うのはとても困難だと思うからです
負けて失ってしまったお金を、その負けたギャンブルで取り返そうとしてしまうのは何故なのでしょうか?
次こそは運が自分の方に向く筈だ…と思ってしまうのでしょうか?
そのお金があればゲームセンターでゲームを何回遊べたでしょうか?
ポテトチップスが何袋買えたでしょうか?
旅行に何度行けたでしょうか?
フィギュアを何体買えたでしょうか??
そんな安上がりな物差ししか持たない私ですが、今はギャンブル中毒にならなかったことをラッキーだったと考えて(運点に1を加えよ)、今後も細々とやっていこうと気を引き締めた次第です
なんでもギャンブルで巨額のお金を失ったとか…
私は1度だけ競馬の馬券を買ったことがあります
それは好きなゲームのキャラクターと同じ名前の馬が出走するとのことで、100円をその馬に賭けたのですが、見事に勝ちました
1番人気だったのでいくらも儲からず、以来競馬はレースを見ることはあっても賭けることはしませんでした
正装をしてドイツのバーデンバーデンのカジノへ行ったこともありました
1000円ほどでチップを購入してルーレットで赤に賭けて1度だけ遊んだのですが、プロセスが面白くないので「それだったらゲームセンターでお金を払ってゲームする方が楽しい」と思って、後は一緒に行った友人が賭けるのをぼんやりと眺めていただけでした
コーラも700円ぐらいしたと思います
びっくりしました
私はアルバイトの後、4度転職をして今の仕事をしています
アルバイトをしながら親元を離れる資金を貯めたり、最初の職場には「長くいないんだろうな」と感じていたので、極力物は買わないドケチ生活を送っていました
そんな私ですから、お金には未だにシビアです
よく言えば倹約家、悪く言えばケチです
コーラが700円もするカジノは完全に場違いでした
旅行やフィギュアはなるべく早く予約したりして出費を抑えます
お金は楽しいこと、買ったものが手元に残るものに使いたいと思っていますが、ギャンブルはその過程が楽しいものに思えませんでした
また、私の金銭感覚は多摩で育ったそれだったので、ゲーム1回50円です
無料の更新型ネットゲームを楽しみにしていたり、とにかく安上がりな楽しみが身近にありました
今もコツコツ貯蓄をしていますから、大金を夢見ないと言えば噓になります
でも中年になった今では「私程度の能力と思い切りのなさでは、今の収入と貯金額は至極妥当」だと思います
ひょっとしたら、競馬やカジノのスリルに味をしめ、ハマっていたかもしれません
が、運よく私はそれらにあまり興味を持てませんでした
お金は様々な場面で私たちを助けてくれます
が、時に人を狂わせます
某通訳さんのことも、少し同情します
誰しもギャンブルにハマってしまう要素や入口に立ってしまう経験はあると思いますし、一度ハマってしまうとそれを抗うのはとても困難だと思うからです
負けて失ってしまったお金を、その負けたギャンブルで取り返そうとしてしまうのは何故なのでしょうか?
次こそは運が自分の方に向く筈だ…と思ってしまうのでしょうか?
そのお金があればゲームセンターでゲームを何回遊べたでしょうか?
ポテトチップスが何袋買えたでしょうか?
旅行に何度行けたでしょうか?
フィギュアを何体買えたでしょうか??
そんな安上がりな物差ししか持たない私ですが、今はギャンブル中毒にならなかったことをラッキーだったと考えて(運点に1を加えよ)、今後も細々とやっていこうと気を引き締めた次第です
夜の森の魔女 15
夜の森の魔女 14
夜の森の魔女 13
夜の森の魔女 12
夜の森の魔女 11
夜の森の魔女 10
夜の森の魔女 09
夜の森の魔女 08
夜の森の魔女 07
夜の森の魔女 06
夜の森の魔女 05
魔法の言葉
明日、やっとCさんが休暇から帰ってきます
その間に会議で残業があったり、クライアントさんからややこしい連絡があったり、障害を持った新しいクライアントさんの相手をしたりと、本当に忙しく、体力点もガリガリ削られました
私が嫌いで、普段はCさんに任せている業務をしなければならなかったのが最もキツく、その業務の間はイライラしっぱなしでした
インターネットで見たのですが、精神的に追い込まれたときに言うべき言葉に「ま、いっか」というものがあります
自分でもイライラが募ってきてるな…と思った時にふと思い出して、半信半疑で言ってみたのですが、効き目はなかなかで、怒りゲージがスーッと減っていくような感覚を覚えました
仕事では確かにタスクを遂行しなければなりませんが、それでも自分の命に関わることではありませんし、最悪辞めてしまうこともできます
こだわってイライラするより、うまくいかない日もあるわ…と割り切ってしまうのが得策と思える今日この頃です
勿論「ま、いっか」で済まない事もあるでしょうが、大抵のことはやり直しも、取り返しもききます
誰にでも効果があるか…は保証できませんが、精神的にキツく感じたときはネガティブなことを言う代わりに魔法の言葉「ま、いっか」を唱えてみてはいかがでしょう?
その間に会議で残業があったり、クライアントさんからややこしい連絡があったり、障害を持った新しいクライアントさんの相手をしたりと、本当に忙しく、体力点もガリガリ削られました
私が嫌いで、普段はCさんに任せている業務をしなければならなかったのが最もキツく、その業務の間はイライラしっぱなしでした
インターネットで見たのですが、精神的に追い込まれたときに言うべき言葉に「ま、いっか」というものがあります
自分でもイライラが募ってきてるな…と思った時にふと思い出して、半信半疑で言ってみたのですが、効き目はなかなかで、怒りゲージがスーッと減っていくような感覚を覚えました
仕事では確かにタスクを遂行しなければなりませんが、それでも自分の命に関わることではありませんし、最悪辞めてしまうこともできます
こだわってイライラするより、うまくいかない日もあるわ…と割り切ってしまうのが得策と思える今日この頃です
勿論「ま、いっか」で済まない事もあるでしょうが、大抵のことはやり直しも、取り返しもききます
誰にでも効果があるか…は保証できませんが、精神的にキツく感じたときはネガティブなことを言う代わりに魔法の言葉「ま、いっか」を唱えてみてはいかがでしょう?
夜の森の魔女 04
夜の森の魔女 03
夜の森の魔女 02
夜の森の魔女 01
夜の森の魔女 00
フィギュア劇第34弾は『夜の森の魔女』です
原作は梧桐重枝先生の『農魔導士ほんとの冒険』です
僅か57パラグラフの中に多くのパズルがぎっしり詰まった傑作ゲームブックです
原作は梧桐重枝先生の『農魔導士ほんとの冒険』です
僅か57パラグラフの中に多くのパズルがぎっしり詰まった傑作ゲームブックです
甘い見通しで始めた私はその日は夜までかかって試行錯誤し、なんとかクリアできました
パラグラフジャンプにダミーまであって、正解ルートが巧妙に隠されています
緻密な描写や伏線は、ぜひ原作の方でお楽しみください
当時、ウィッチを出したい…そう思い続けて随分経ってしまいましたが、このゲームブックの再現とウィッチの投入が果たせたことがとても嬉しかったのを覚えています
原作では喋る本がお供なのですが、使い魔の猫、シルバをそのポジションに据えたり、葉を重ねた魔術は鉱石にしたり…とアレンジされていますので原作原理主義者の方、また、ネタバレを含みますのでこれから読まれる方はご注意ください
原作では喋る本がお供なのですが、使い魔の猫、シルバをそのポジションに据えたり、葉を重ねた魔術は鉱石にしたり…とアレンジされていますので原作原理主義者の方、また、ネタバレを含みますのでこれから読まれる方はご注意ください
よろしくどうぞ
消えた薬草サルチ 21
消えた薬草サルチ 20
消えた薬草サルチ 19
節制っせーの良い良い良い??
最近、節約系ユーチューバーと呼ばれる人たちの動画を見ています
その中で、お金持ちな人の生活に関して書かれた本や、お金持ちの人と実際に関わった人の動画があり、それを視聴しました
皆様の「お金持ち」のイメージってどんな感じですか?
私のそれは大きな豪邸とも呼べるような家に住み、高い食材で作られる料理を食べたり外食も高いレストラン、高級車を何台も所有していて、家事をするお手伝いさんがいる…そんな印象です
ところが、お金持ちの人たちの生活は驚くほど質素だそうです
強いて挙げるとすれば、納得のできる支出や投資には積極的なぐらいで、いわゆる「派手な生活」は一切ない…とのことでした
「なら、お金はどんどん貯まっていくわけね…納得」
思っていたのとは違いましたが、合点もいきました
節約系ユーチューバーの方々は口を揃えて「固定費を見直せ」「自炊しろ」「趣味、交際費の見直し」などを提唱しています
収入の大幅な改善が見込めないなら、支出を減らすしか貯金を伸ばすことはできないからです
それに合わせて「副業」したり「投資」をすることを勧めています
ですが、それ以上に重要なのはメンタルのようです
給料が上がらず、物価や税金が上がり続ける日本では「普通に生活していては貯金できない」ようです
実に多くの人が貯金をできていない現実があります
なので「普通でない」という自覚を持ち、友達付き合いも抑え気味にし、孤独に耐えて我慢強く貯金をしていくことを促しています
私は親が「ウチはお金がない」と言っていたのを真に受けて育ったせいか、なかなかケチな人間です
フィギュアには財布の紐が緩いのですが、それでも毎月まあまあの額の貯金ができている方だと思います
大きいのは、私には子供がおらず、車が必要ない地域に住めていることだと思います
また、僅かですが「お金でお金を増やす」ことも始めました
資格を取る前の数年前は大した所得がなかったのですが、その時から生活レベルを上げていないので、自動的に貯金できている感覚です
それでもふと考えることがあります
「私って何のために貯金してるんだっけ?」と
私は残念ながら早期退職して余生をゆったり過ごす…と言う程の蓄えはありません
まあ強いて言えば「老後のため」でしょうか
あとは後腐れなく旅行をするため…というのもあります
私自身は「貯金は我慢」「将来にお金を送っているだけ」という感覚はありません
ですが、今が楽しくないと続きませんし、思っていた普通の生活やお金持ちの贅沢を、少しばかりは堪能してみたい…という欲はあります
それは私の場合、旅行で解消されるのですが、その旅行も「交通費をなるべく抑える」「泊まるだけのホテルはなるべく安く」というルールで行っています
電車や飛行機の予約はかなり前に入れたり、フィギュアに関しても予約して買うことを徹底して、プレミア値には手を出さないようにしています
最近はインフレ、値上げと騒がれていて、今の蓄えの価値が一気に下がってしまうかもしれませんが、今を大切にしつつ、予算オーバーにならない生活を今後も心がけていけたらな…と思います
その中で、お金持ちな人の生活に関して書かれた本や、お金持ちの人と実際に関わった人の動画があり、それを視聴しました
皆様の「お金持ち」のイメージってどんな感じですか?
私のそれは大きな豪邸とも呼べるような家に住み、高い食材で作られる料理を食べたり外食も高いレストラン、高級車を何台も所有していて、家事をするお手伝いさんがいる…そんな印象です
ところが、お金持ちの人たちの生活は驚くほど質素だそうです
強いて挙げるとすれば、納得のできる支出や投資には積極的なぐらいで、いわゆる「派手な生活」は一切ない…とのことでした
「なら、お金はどんどん貯まっていくわけね…納得」
思っていたのとは違いましたが、合点もいきました
節約系ユーチューバーの方々は口を揃えて「固定費を見直せ」「自炊しろ」「趣味、交際費の見直し」などを提唱しています
収入の大幅な改善が見込めないなら、支出を減らすしか貯金を伸ばすことはできないからです
それに合わせて「副業」したり「投資」をすることを勧めています
ですが、それ以上に重要なのはメンタルのようです
給料が上がらず、物価や税金が上がり続ける日本では「普通に生活していては貯金できない」ようです
実に多くの人が貯金をできていない現実があります
なので「普通でない」という自覚を持ち、友達付き合いも抑え気味にし、孤独に耐えて我慢強く貯金をしていくことを促しています
私は親が「ウチはお金がない」と言っていたのを真に受けて育ったせいか、なかなかケチな人間です
フィギュアには財布の紐が緩いのですが、それでも毎月まあまあの額の貯金ができている方だと思います
大きいのは、私には子供がおらず、車が必要ない地域に住めていることだと思います
また、僅かですが「お金でお金を増やす」ことも始めました
資格を取る前の数年前は大した所得がなかったのですが、その時から生活レベルを上げていないので、自動的に貯金できている感覚です
それでもふと考えることがあります
「私って何のために貯金してるんだっけ?」と
私は残念ながら早期退職して余生をゆったり過ごす…と言う程の蓄えはありません
まあ強いて言えば「老後のため」でしょうか
あとは後腐れなく旅行をするため…というのもあります
私自身は「貯金は我慢」「将来にお金を送っているだけ」という感覚はありません
ですが、今が楽しくないと続きませんし、思っていた普通の生活やお金持ちの贅沢を、少しばかりは堪能してみたい…という欲はあります
それは私の場合、旅行で解消されるのですが、その旅行も「交通費をなるべく抑える」「泊まるだけのホテルはなるべく安く」というルールで行っています
電車や飛行機の予約はかなり前に入れたり、フィギュアに関しても予約して買うことを徹底して、プレミア値には手を出さないようにしています
最近はインフレ、値上げと騒がれていて、今の蓄えの価値が一気に下がってしまうかもしれませんが、今を大切にしつつ、予算オーバーにならない生活を今後も心がけていけたらな…と思います
消えた薬草サルチ 18
消えた薬草サルチ 17
消えた薬草サルチ 16
Lier(リール)旅行記 その2
旅行記の続きです
お腹を満たした後、夜の街を徘徊することにしました
パジャマのズボンを履いたりして、防寒対策もしました
Zimmertoren
De Fortuin
運河へ入っていけます…入りませんけど
De Fortuinを別角度から
Lierの文字の左側は羊の頭…理由は後ほど書きますね
St-Jacobskapel
Grote Markt
Stadhuis
リールの街、また明日!
この後、持参した踏台で踏み台昇降を1時間して、夜中にシャワーを浴びてから寝ました
翌朝…
朝食が良いとは聞いていましたが、久しぶりにバイキングでない朝食でした
凄いボリュームでしたが、美味しくいただきました
冒険者は胃袋が強くなくては生き延びられないのです
朝食後、地図を見てまだ見ていないSpui(1時の方向にある⑤の家のような絵のやつです)を見るべく、出発します
Lierのシンボル、羊です
市庁舎の鐘楼にも赤い羊の頭がご覧いただけるかと思います
相変わらず凍っている運河
Sint-Gummarusを右手に見ながら進んでいきます
寒かった…そして何より寒かった…
そうこうしている間に到着しました
橋の役割もはたしているこのSpuiは通り抜けられます
現存する唯一の第2市壁だそうです
運河方面を見るとこんな感じ…ステキ!
壁は白かったですが、博物館にあった絵もこんな感じでしたね
さて、羊の頭です
14世紀にMechelen市との戦いに勝利したリール市に公爵ヤン2世が褒美を与えようと市民に問いました
「大学か家畜市場か、どちらにする?」
すると市民は家畜市場を選び、公爵は「ああ…哀れな羊の頭」と言って嘆いたとのこと
結局、大学はLeuvenに建てられ、今なおLeuvenは大学町として栄えています
が、リールも羊毛で富を得ました
Schapekoppenはリール人の誇らしい(?)ニックネームとなっているようです
ここは4月1日から10月31日までの観光シーズンは水上バスの停船所となっているようです
街へ向かってトボトボと歩いていきます
派手さはありませんが、こういうこじんまりした街っていいですよね
フランスやドイツのような大国パワーを感じない素朴さが魅力的です
De hooge Brugを渡って…
De Fortuinの脇を抜けて…
もちろん運河には入らずに…
De Zimmertorenの前を抜けて運河の方へ向かっていきます
ここも夏場は船の発着場のようです
羊飼いと羊の群れです
ベルギーの訪れた街々(点)が線で結ばれたようで、羊の頭の話はちょっと嬉しかったです
Sint-Margaritakerk
教会の近くに古いポンプがありました
聖マルガリータはドラゴンに飲み込まれてもお腹を破って生還したので、足元にドラゴンがいます
戦没者慰霊の碑です
この碑のある通りはベギン会修道院通りとなっています
それっぽい建物の中をガラス越しに撮影しましたが、これもベギン会修道院だと思います
パラダイス通りなるものも見つけました
Grote Marktはとても広く、こんな写真は撮れないので、見つけたポスターを撮影しました
さて、電車は午後3時ごろに出るので、それまで時間があります
ならば…とZimmer museumを訪れよう!とそちらへ向かったのですが…
お昼休みに入ってしまったようで、入館できませんでした…やんぬる
仕方なく、近くにあったカフェに退避しました
名物菓子のLiers vlaaikeをいただいてみました
でもなんかイマイチでしたね
お口直しとお昼ご飯を兼ねて、ワッフルを頼みました
こちらは大変美味しかったです
訪れたカフェはこちら
長居してすみませんでした!
ちなみに昨日のディナーを食べたのはこちらのレストランでした
同じ写真ばかりで申し訳ありませんが、最後に時計の塔をパシャリ📸
もう駅のところに来ました
駅に着きました
さよなら、リール
夏に来ていたら、もっと旅行者も来ていて印象も違ったのでしょうが、私としてはとても満足のいく旅行でした
昨年からフランスの都市を訪れることが多かったのですが、やっぱり私はベルギー贔屓かもしれません
フラマン語(オランダ語)を解読しながら旅をするのも楽しいですし、食べ物も口に合います
フランスはフランスで凄いと思いますし良いのですが、オーストリアとかベルギーのような小さめな国の方に惹かれるものがあります(多摩の出身だからからでしょうか…??)
お土産はベルギーに行くといつも買って帰るこのクッキーです
私はバター味のシンプルなこういう味が大好きです
そんなこんなでリール旅行記はこれでおしまいです
お読みいただき、ありがとうございました
お腹を満たした後、夜の街を徘徊することにしました
パジャマのズボンを履いたりして、防寒対策もしました
Zimmertoren
De Fortuin
運河へ入っていけます…入りませんけど
De Fortuinを別角度から
Lierの文字の左側は羊の頭…理由は後ほど書きますね
St-Jacobskapel
Grote Markt
Stadhuis
リールの街、また明日!
この後、持参した踏台で踏み台昇降を1時間して、夜中にシャワーを浴びてから寝ました
翌朝…
朝食が良いとは聞いていましたが、久しぶりにバイキングでない朝食でした
凄いボリュームでしたが、美味しくいただきました
冒険者は胃袋が強くなくては生き延びられないのです
朝食後、地図を見てまだ見ていないSpui(1時の方向にある⑤の家のような絵のやつです)を見るべく、出発します
Lierのシンボル、羊です
市庁舎の鐘楼にも赤い羊の頭がご覧いただけるかと思います
相変わらず凍っている運河
Sint-Gummarusを右手に見ながら進んでいきます
寒かった…そして何より寒かった…
そうこうしている間に到着しました
橋の役割もはたしているこのSpuiは通り抜けられます
現存する唯一の第2市壁だそうです
運河方面を見るとこんな感じ…ステキ!
壁は白かったですが、博物館にあった絵もこんな感じでしたね
さて、羊の頭です
14世紀にMechelen市との戦いに勝利したリール市に公爵ヤン2世が褒美を与えようと市民に問いました
「大学か家畜市場か、どちらにする?」
すると市民は家畜市場を選び、公爵は「ああ…哀れな羊の頭」と言って嘆いたとのこと
結局、大学はLeuvenに建てられ、今なおLeuvenは大学町として栄えています
が、リールも羊毛で富を得ました
Schapekoppenはリール人の誇らしい(?)ニックネームとなっているようです
ここは4月1日から10月31日までの観光シーズンは水上バスの停船所となっているようです
街へ向かってトボトボと歩いていきます
派手さはありませんが、こういうこじんまりした街っていいですよね
フランスやドイツのような大国パワーを感じない素朴さが魅力的です
De hooge Brugを渡って…
De Fortuinの脇を抜けて…
もちろん運河には入らずに…
De Zimmertorenの前を抜けて運河の方へ向かっていきます
ここも夏場は船の発着場のようです
羊飼いと羊の群れです
ベルギーの訪れた街々(点)が線で結ばれたようで、羊の頭の話はちょっと嬉しかったです
Sint-Margaritakerk
教会の近くに古いポンプがありました
聖マルガリータはドラゴンに飲み込まれてもお腹を破って生還したので、足元にドラゴンがいます
戦没者慰霊の碑です
この碑のある通りはベギン会修道院通りとなっています
それっぽい建物の中をガラス越しに撮影しましたが、これもベギン会修道院だと思います
パラダイス通りなるものも見つけました
Grote Marktはとても広く、こんな写真は撮れないので、見つけたポスターを撮影しました
さて、電車は午後3時ごろに出るので、それまで時間があります
ならば…とZimmer museumを訪れよう!とそちらへ向かったのですが…
お昼休みに入ってしまったようで、入館できませんでした…やんぬる
仕方なく、近くにあったカフェに退避しました
名物菓子のLiers vlaaikeをいただいてみました
でもなんかイマイチでしたね
お口直しとお昼ご飯を兼ねて、ワッフルを頼みました
こちらは大変美味しかったです
訪れたカフェはこちら
長居してすみませんでした!
ちなみに昨日のディナーを食べたのはこちらのレストランでした
同じ写真ばかりで申し訳ありませんが、最後に時計の塔をパシャリ📸
もう駅のところに来ました
駅に着きました
さよなら、リール
夏に来ていたら、もっと旅行者も来ていて印象も違ったのでしょうが、私としてはとても満足のいく旅行でした
昨年からフランスの都市を訪れることが多かったのですが、やっぱり私はベルギー贔屓かもしれません
フラマン語(オランダ語)を解読しながら旅をするのも楽しいですし、食べ物も口に合います
フランスはフランスで凄いと思いますし良いのですが、オーストリアとかベルギーのような小さめな国の方に惹かれるものがあります(多摩の出身だからからでしょうか…??)
お土産はベルギーに行くといつも買って帰るこのクッキーです
私はバター味のシンプルなこういう味が大好きです
そんなこんなでリール旅行記はこれでおしまいです
お読みいただき、ありがとうございました
Lier(リール)旅行記 その1
ベルギーの小さな街、リールへ行った時のことを書こうと思います
これまでもベルギーの街をたくさん見てきたのですが、久しぶりに訪れたことでベルギーへの愛着を再確認しました
旅行をした日はありがたいことに晴れていたのですが、雪が残っていました
アントワープ行きのローカル線に乗ってやってきました
駅にはパンの自動販売機がありました
versはfresh、broodはbreadという意味です
取り出し口のduw hierはドイツ語ならdruck hierなので「ここを押せ」という意味でしょう
冬は観光案内所が閉まっているので、Google mapを頼りに上の写真の市庁舎がある広場を目指します
まずはこの川を渡って…
アントワープ通りを進みます
この画像は次の日の早朝に撮ったもので人が写っていませんが、店が立ち並ぶ賑やかな通りです
アントワープ通りにあるホテル
チェックインはまだできなかったのですが、荷物を預かってもらえました
街の中心地、Grote Marktに到着!当日は市が立っていました
お店を見て回ったのですが、お腹が空いたのでレストランに入ります
寒かったので、紅茶を飲みました
ランチはイタリアン!まずは糖尿病でもOKなオリープを食べます
そして本命のピザ!なかなか美味しかったです
市庁舎の中に現代の冒険者ギルドことツーリストインフォがあるのですが、閉まっていました
市庁舎の中に入ってみたかったので、残念無念
結婚式か何か?がやっていたので、無理すれば入れそうではあったのですが、鶏肉な私は見送り三振でした
気を取り直してGrote Marktを抜けると運河が走っているところに来ました
橋の下以外は凍っていました…寒ッ!
Lierと書いてあったので、写真スポットだと思い、対岸からパシャリ📸
凍った運河を見ていただければわかると思いますが、本当に寒かったです
橋を渡ってSint-Gummarus教会を目指します
聖グマルスはこの街の守護聖人
早速中へ入っていきましょ…え?
ガーン!工事中!?残念…The無念…
教会は1378年から200年にわたって建てられ、1496年にはマクシミリアン帝とマリーさんの息子フィリップ美公と狂女ファナがここで結婚しました
教会の近くにあった図書館です
入ってみましたが、とても雰囲気が良かったです
橋のところまで戻ってきました
レンガの建物にde hooge brugと書いてありますが、これはthe high bridgeという意味ですよ、高橋さん
キリストを抱いたマリア様も寒いので堪らず厚着(嘘
細い道をぬるっと行くと…そこには!?
じゃじゃーん!街のシンボル、ツィマー塔です!
14世紀の塔に1930年にLouis Zimmerの時計を設置したものです
これよ、これ!これを見に来たのよー
時計が向いている方向へ歩いていくと、何やら素敵な門が…
Gevangenpoort
Gevangenはドイツ語のGefangen(捕まえるの過去分詞)、Poortは門
1375年に城壁の一部として作られ、16世紀から1930年まで牢獄として使われていました
さらにぶらぶら散歩をしていくと…
旗のついた素敵な建物が…Stadsmuseum Lier です
入っていきましょう
本当に寒いので、屋内の観光はありがたいです
さらにここで地図も入手しました!冥加!
街の絵です
結構見てきたまんま!
この白い建物は次の日に見ました
博物館の様子がわかっていただけると良いのですが…
小さい街の博物館ですが、街の誇りを感じさせます
正面に見えるのはお祭りで使うお神輿のようなものみたいです
この写真でどう使われるかがご覧いただけると思います
フィリップ美公と狂女ファナ
この街で発見されたマンモスの骨のレプリカです
Pieter Brueghel 子の絵画、Spreekwoorden
Spreekwoordenはドイツ語のSprichwort、ことわざという意味だと思います
バベルの塔や農民の婚宴は同名のお父上のものみたいですね
歴史ある街なので昔のポスターなんかも豊富にありました
今なお建ち続ける市庁舎…イイですね!
博物館を後にして、再びGrote Marktに戻ってきました
地図に絵が載っていたので市庁舎の右裏手にあるSint-Jacob教会を訪れました
いやぁ、見逃してましたよ~
この海香の目をもってしても見抜けませんでした(節穴
戦争で壊れたのを再建したおかげで、再見可能に
Vleeshuis
寒いしあらかた見たようなので、宿に戻ることにしました
最後にGrote Marktの様子を
う~ん…素敵!
ホテルは1階がカフェになっており、ちょうど冒険者の宿みたいな感じでした
シャワーがなんか凄かったです
テレビを見たりベッドでゴロゴロしてから、夕食に繰り出しました
牢獄門の方にレストランがあったので、そちらへ向かっていきます
ベルギーに来たらこれ!Pasteitje met Ragout
ポテトも美味しかったです!
ちょっと中途半端なのですが、写真的にはだいたい真ん中なので、ここで一旦切ります
これまでもベルギーの街をたくさん見てきたのですが、久しぶりに訪れたことでベルギーへの愛着を再確認しました
旅行をした日はありがたいことに晴れていたのですが、雪が残っていました
アントワープ行きのローカル線に乗ってやってきました
駅にはパンの自動販売機がありました
versはfresh、broodはbreadという意味です
取り出し口のduw hierはドイツ語ならdruck hierなので「ここを押せ」という意味でしょう
冬は観光案内所が閉まっているので、Google mapを頼りに上の写真の市庁舎がある広場を目指します
まずはこの川を渡って…
アントワープ通りを進みます
この画像は次の日の早朝に撮ったもので人が写っていませんが、店が立ち並ぶ賑やかな通りです
アントワープ通りにあるホテル
チェックインはまだできなかったのですが、荷物を預かってもらえました
街の中心地、Grote Marktに到着!当日は市が立っていました
お店を見て回ったのですが、お腹が空いたのでレストランに入ります
寒かったので、紅茶を飲みました
ランチはイタリアン!まずは糖尿病でもOKなオリープを食べます
そして本命のピザ!なかなか美味しかったです
市庁舎の中に現代の冒険者ギルドことツーリストインフォがあるのですが、閉まっていました
市庁舎の中に入ってみたかったので、残念無念
結婚式か何か?がやっていたので、無理すれば入れそうではあったのですが、鶏肉な私は見送り三振でした
気を取り直してGrote Marktを抜けると運河が走っているところに来ました
橋の下以外は凍っていました…寒ッ!
Lierと書いてあったので、写真スポットだと思い、対岸からパシャリ📸
凍った運河を見ていただければわかると思いますが、本当に寒かったです
橋を渡ってSint-Gummarus教会を目指します
聖グマルスはこの街の守護聖人
早速中へ入っていきましょ…え?
ガーン!工事中!?残念…The無念…
教会は1378年から200年にわたって建てられ、1496年にはマクシミリアン帝とマリーさんの息子フィリップ美公と狂女ファナがここで結婚しました
教会の近くにあった図書館です
入ってみましたが、とても雰囲気が良かったです
橋のところまで戻ってきました
レンガの建物にde hooge brugと書いてありますが、これはthe high bridgeという意味ですよ、高橋さん
キリストを抱いたマリア様も寒いので堪らず厚着(嘘
細い道をぬるっと行くと…そこには!?
じゃじゃーん!街のシンボル、ツィマー塔です!
14世紀の塔に1930年にLouis Zimmerの時計を設置したものです
これよ、これ!これを見に来たのよー
時計が向いている方向へ歩いていくと、何やら素敵な門が…
Gevangenpoort
Gevangenはドイツ語のGefangen(捕まえるの過去分詞)、Poortは門
1375年に城壁の一部として作られ、16世紀から1930年まで牢獄として使われていました
さらにぶらぶら散歩をしていくと…
旗のついた素敵な建物が…Stadsmuseum Lier です
入っていきましょう
本当に寒いので、屋内の観光はありがたいです
さらにここで地図も入手しました!冥加!
街の絵です
結構見てきたまんま!
この白い建物は次の日に見ました
博物館の様子がわかっていただけると良いのですが…
小さい街の博物館ですが、街の誇りを感じさせます
正面に見えるのはお祭りで使うお神輿のようなものみたいです
この写真でどう使われるかがご覧いただけると思います
フィリップ美公と狂女ファナ
この街で発見されたマンモスの骨のレプリカです
Pieter Brueghel 子の絵画、Spreekwoorden
Spreekwoordenはドイツ語のSprichwort、ことわざという意味だと思います
バベルの塔や農民の婚宴は同名のお父上のものみたいですね
歴史ある街なので昔のポスターなんかも豊富にありました
今なお建ち続ける市庁舎…イイですね!
博物館を後にして、再びGrote Marktに戻ってきました
地図に絵が載っていたので市庁舎の右裏手にあるSint-Jacob教会を訪れました
いやぁ、見逃してましたよ~
この海香の目をもってしても見抜けませんでした(節穴
戦争で壊れたのを再建したおかげで、再見可能に
Vleeshuis
寒いしあらかた見たようなので、宿に戻ることにしました
最後にGrote Marktの様子を
う~ん…素敵!
ホテルは1階がカフェになっており、ちょうど冒険者の宿みたいな感じでした
シャワーがなんか凄かったです
テレビを見たりベッドでゴロゴロしてから、夕食に繰り出しました
牢獄門の方にレストランがあったので、そちらへ向かっていきます
ベルギーに来たらこれ!Pasteitje met Ragout
ポテトも美味しかったです!
ちょっと中途半端なのですが、写真的にはだいたい真ん中なので、ここで一旦切ります
消えた薬草サルチ 15
行動力
私には子供がいないのですが、我が子のように可愛いと思うのが、兄の3人の子供と妹の2人の娘、そしてAちゃんです
兄の子供の中で一番上の甥くんは今年で成人し、今年の夏は一緒にドイツを旅行するつもりです
Aちゃんはその甥くんよりも3つ年上のお姉さんで、ロシアとドイツのハーフの子です
Aちゃんとは彼女が赤ちゃんの頃に知り合いました
ドイツにあるロシアの幼稚園に通っていたのですが、家でロシア語を話さないのでロシア語で他の子とコミュニケーションをとるのがキツくなっていたので小学校からは普通のドイツの学校に通い、15歳で渡米、16歳から18歳まではイスラエルの国際学校へ進学し、その後ドイツに戻ってきて芸術・歴史を専攻しています
ドイツに戻ってきてからは大学に行きながら精力的にアルバイトをしていました
テレビ局や博物館員、イベントホール…なんだかいろいろやっていて、働いているのか大学生なのかわからないほどです
イスラエル時代の友人や別の国からやってきた大学の友人が世界中にいて、あちこち世界を飛び回っている印象を受けています
私の両親に会いに日本まで行ったり、今は数か月マンチェスターで勉強しています
私はこのAちゃんが可愛くて可愛くてしかたがありません
「バカでもいいから優しい女の子になってほしい」と思っていました
Aちゃんは私の想像を超えた、聡明で性格のいい女性に成長しました
何より凄いのが、行動力です
引っ越しやバイトの変更などの決断が早く、お金も大切に使います
「可愛い子には旅をさせろ」とはよく言ったもので、彼女はいろいろな経験をして学び、今の自分を作っていったのでしょう
私は自分の人生を思い返しても「思い切った選択」が幸運をもたらしたな…とは思っているのですが、私は意外にも鶏肉で、新しいことに挑戦したり、新しい環境に飛び込むのが苦手です
コンフォートゾーンでぬくぬくやるのが好きなのですが、いざ「嫌だけど仕方ない」という状況になると腹がくくれるような感覚があります
往生際にならないと本領を発揮できないのはもどかしいばかりですが、特に仕事選び&探しは大嫌いで、もう履歴書を書くことを考えただけでも面倒臭で卒倒しそうです
Aちゃんのことは心から「凄いな…」と尊敬しています
最近見た動画でも「考えて何もしない人は成功しない」「成功するには試行回数をあげること」ということが言われていました
私もやろうとは思っているのになかなか踏み出せない、踏み切れないことを思い切ってやってこうと思います
な…なるべくブログも更新するようにします…
「行動するぞ、行動するぞ、行動するぞ」ポア
兄の子供の中で一番上の甥くんは今年で成人し、今年の夏は一緒にドイツを旅行するつもりです
Aちゃんはその甥くんよりも3つ年上のお姉さんで、ロシアとドイツのハーフの子です
Aちゃんとは彼女が赤ちゃんの頃に知り合いました
ドイツにあるロシアの幼稚園に通っていたのですが、家でロシア語を話さないのでロシア語で他の子とコミュニケーションをとるのがキツくなっていたので小学校からは普通のドイツの学校に通い、15歳で渡米、16歳から18歳まではイスラエルの国際学校へ進学し、その後ドイツに戻ってきて芸術・歴史を専攻しています
ドイツに戻ってきてからは大学に行きながら精力的にアルバイトをしていました
テレビ局や博物館員、イベントホール…なんだかいろいろやっていて、働いているのか大学生なのかわからないほどです
イスラエル時代の友人や別の国からやってきた大学の友人が世界中にいて、あちこち世界を飛び回っている印象を受けています
私の両親に会いに日本まで行ったり、今は数か月マンチェスターで勉強しています
私はこのAちゃんが可愛くて可愛くてしかたがありません
「バカでもいいから優しい女の子になってほしい」と思っていました
Aちゃんは私の想像を超えた、聡明で性格のいい女性に成長しました
何より凄いのが、行動力です
引っ越しやバイトの変更などの決断が早く、お金も大切に使います
「可愛い子には旅をさせろ」とはよく言ったもので、彼女はいろいろな経験をして学び、今の自分を作っていったのでしょう
私は自分の人生を思い返しても「思い切った選択」が幸運をもたらしたな…とは思っているのですが、私は意外にも鶏肉で、新しいことに挑戦したり、新しい環境に飛び込むのが苦手です
コンフォートゾーンでぬくぬくやるのが好きなのですが、いざ「嫌だけど仕方ない」という状況になると腹がくくれるような感覚があります
往生際にならないと本領を発揮できないのはもどかしいばかりですが、特に仕事選び&探しは大嫌いで、もう履歴書を書くことを考えただけでも面倒臭で卒倒しそうです
Aちゃんのことは心から「凄いな…」と尊敬しています
最近見た動画でも「考えて何もしない人は成功しない」「成功するには試行回数をあげること」ということが言われていました
私もやろうとは思っているのになかなか踏み出せない、踏み切れないことを思い切ってやってこうと思います
な…なるべくブログも更新するようにします…
「行動するぞ、行動するぞ、行動するぞ」ポア
消えた薬草サルチ 14
消えた薬草サルチ 13
消えた薬草サルチ 12
Viva! 退屈な日常
なんだかえらく記事を読んでいただいたようで、ありがたいやら、私の警告に従わない冒険者魂を持った読者様が多いという事実に困惑するやら、複雑な気持ちで半笑いしている、往生際の魔術師こと虹城海香です
今日はOffでした
なんでも職員にお金を払うか、月に1度休みを出すか…というのがスタートしました
私たちの職場は病欠者が多いので、ここは当然お金を払って…という流れになりそうなところなのですが、オーナーはお金をとにかく出し渋るので、休みをとらされています
それはそれで良いのですが、今日はBさんも休暇を取っているので、出勤する人はちょっと「お気の毒」ではあります
私は本当は先々週の金曜日が休みのはずだったのですが、そうすると相棒のCさんが一人になってしまうので3連休を諦め今日にしてあげたって寸法なのですが、本来、契約時にはなかった1日休み制はまさしく「言うは易し行うは難し」です
クライアントさんは当然、私が来るのを期待しているわけで、フルタイム勤務で病気でもないのに私がいないというのは、あまり気持ちのいいものではありません
本当は「お金を出す」が最適解なのにな…と内心苦々しく思っていたりします
私にはちょっと年の離れた友人がいます
以前にもちょろっと書いたのですが、その方は旦那と別れ、一人になって定年を迎えた後に同じく熟年の男性と知り合いました
その男性は写真家で、私の住む街にいくつも住居を持っている、ちょっとしたお金持ちです
その男性は旅行好きで、友人もほとんど私の街にいないような感じになってしまいました
最初は「そんなのちっとも羨ましい!」と思い、また「仕事をしなくてよくなったら旅から旅の生活もいいなぁ」なんて思っていました
仕事をしている場合は休暇の期間が決まっていて、その休暇の時は大抵ハイシーズンで旅行自体が高くなってしまいます
しかし、年金生活者はそもそも自宅にいなければならない…なんてことはありません
お金があれば、ビザが許す限り好きなだけ好きなところに滞在できます
ところが、現実はそうではないのです
「家ほど寛げるところはない」というのは本当で、旅行から帰ってくると、その旅行がどんなに楽しかったとしても、どこかホッとするものです
私にとっては愛するフィギュアたちがいるところですし、外泊や外食はずっと続けるのはしんどいものです
件の友人も、本当は行こうと思って買ったコンサートのチケットを譲ってくれたりしたのですが、旅行やコンサートなどの特別なイベント事は特別だからこそ意味があり、それが当たり前になってしまうと、その価値は薄れてしまいます
友人も「旅行がしんどい」「家でくつろいだりコンサートに行ったりしたかった」と言っていました
最近は血糖値対策で運動する際「いかに幸せになるか」というようなテーマの動画をよく見ていました
その中に「SNSを見るな」というのがありました
SNSを見るとキラキラした他人が目に入ります
それが羨ましくなって、相対的に不幸に感じてしまう…ということのようです
中にはそういう人もいますが、通常だとわざわざ不幸をさらして自慢する人はいません
SNSには美味しいもの、楽しそうな姿、成功したときの写真などに溢れています
当然のことですが、その人たちも毎日そんな日常の中で生活しているわけではありません
でも逆に「毎日がキラキラ」だったとしたらどうでしょう?
それではキラキラな毎日に慣れてしまって、幸福や特別感が感じられなくなっているはずです
実は、この「退屈な日常」こそが特別な日や特別なイベントを特別と思えるようにしてくれているのです
私が毎日1時間の運動を課してから1年が経ちました
習慣化するためには3週間ほどかかるとどこかで読んだことがあります
3週間経つまで、脳は新しいことや慣れていないことに対して拒否反応を示すそうです
作業中にスマホの通知に反応すると、元の集中状態に戻すのにとてもエネルギーを使うそうです
また、毎日運転している道は何時間運転しても疲れないのに、知らない道をちょっと走っただけでもどっと疲れたりします
慣れた毎日、退屈な日常は本当はとても素敵なことなのです
何か特別なことをしたわけではありませんが、今日はまったりとした一日を満喫できたように思います
変わらない安全、安心な日常に感謝した次第です
今日はOffでした
なんでも職員にお金を払うか、月に1度休みを出すか…というのがスタートしました
私たちの職場は病欠者が多いので、ここは当然お金を払って…という流れになりそうなところなのですが、オーナーはお金をとにかく出し渋るので、休みをとらされています
それはそれで良いのですが、今日はBさんも休暇を取っているので、出勤する人はちょっと「お気の毒」ではあります
私は本当は先々週の金曜日が休みのはずだったのですが、そうすると相棒のCさんが一人になってしまうので3連休を諦め今日にしてあげたって寸法なのですが、本来、契約時にはなかった1日休み制はまさしく「言うは易し行うは難し」です
クライアントさんは当然、私が来るのを期待しているわけで、フルタイム勤務で病気でもないのに私がいないというのは、あまり気持ちのいいものではありません
本当は「お金を出す」が最適解なのにな…と内心苦々しく思っていたりします
私にはちょっと年の離れた友人がいます
以前にもちょろっと書いたのですが、その方は旦那と別れ、一人になって定年を迎えた後に同じく熟年の男性と知り合いました
その男性は写真家で、私の住む街にいくつも住居を持っている、ちょっとしたお金持ちです
その男性は旅行好きで、友人もほとんど私の街にいないような感じになってしまいました
最初は「そんなのちっとも羨ましい!」と思い、また「仕事をしなくてよくなったら旅から旅の生活もいいなぁ」なんて思っていました
仕事をしている場合は休暇の期間が決まっていて、その休暇の時は大抵ハイシーズンで旅行自体が高くなってしまいます
しかし、年金生活者はそもそも自宅にいなければならない…なんてことはありません
お金があれば、ビザが許す限り好きなだけ好きなところに滞在できます
ところが、現実はそうではないのです
「家ほど寛げるところはない」というのは本当で、旅行から帰ってくると、その旅行がどんなに楽しかったとしても、どこかホッとするものです
私にとっては愛するフィギュアたちがいるところですし、外泊や外食はずっと続けるのはしんどいものです
件の友人も、本当は行こうと思って買ったコンサートのチケットを譲ってくれたりしたのですが、旅行やコンサートなどの特別なイベント事は特別だからこそ意味があり、それが当たり前になってしまうと、その価値は薄れてしまいます
友人も「旅行がしんどい」「家でくつろいだりコンサートに行ったりしたかった」と言っていました
最近は血糖値対策で運動する際「いかに幸せになるか」というようなテーマの動画をよく見ていました
その中に「SNSを見るな」というのがありました
SNSを見るとキラキラした他人が目に入ります
それが羨ましくなって、相対的に不幸に感じてしまう…ということのようです
中にはそういう人もいますが、通常だとわざわざ不幸をさらして自慢する人はいません
SNSには美味しいもの、楽しそうな姿、成功したときの写真などに溢れています
当然のことですが、その人たちも毎日そんな日常の中で生活しているわけではありません
でも逆に「毎日がキラキラ」だったとしたらどうでしょう?
それではキラキラな毎日に慣れてしまって、幸福や特別感が感じられなくなっているはずです
実は、この「退屈な日常」こそが特別な日や特別なイベントを特別と思えるようにしてくれているのです
私が毎日1時間の運動を課してから1年が経ちました
習慣化するためには3週間ほどかかるとどこかで読んだことがあります
3週間経つまで、脳は新しいことや慣れていないことに対して拒否反応を示すそうです
作業中にスマホの通知に反応すると、元の集中状態に戻すのにとてもエネルギーを使うそうです
また、毎日運転している道は何時間運転しても疲れないのに、知らない道をちょっと走っただけでもどっと疲れたりします
慣れた毎日、退屈な日常は本当はとても素敵なことなのです
何か特別なことをしたわけではありませんが、今日はまったりとした一日を満喫できたように思います
変わらない安全、安心な日常に感謝した次第です
消えた薬草サルチ 11
duolingoを削除した話
duolingoという語学学習アプリにハマっていました
このアプリでは語学の問題が出されるのですが、1つのレッスンを終えるごとに経験値がもらえます
その経験値は週間で集計され、その「勉強熱心さ」を競うリーグに入れられ、他の学習者と比較されます
10個ぐらいリーグがあり、上位7位までが昇格、下位7位までが降格となり、TOP3に入ると賞金が手に入ったりします
こういう経験値稼ぎやランキングに血道を上げてしまう私は、無課金にも関わらず課金勢に敢然と挑んだり、とにかく暇さえあれば語学の問題を解く…そんな生活を送っておりました
先週末も課金者を追い抜くべく、朝から晩までやっていたのですが、日曜日の夕飯時、ふと「…!?これは良くないわ」と気付きました
よくペットを飼う人はペットを飼っているのではなく、ペットのための生活…つまり餌を買ったり散歩をしたり、旅行に行けなかったり…を余儀なくされ、あたかもペットに飼われているかのようになってしまう…そんなことを聞いたことがあります
私も知らぬうちに、このアプリ中心の生活になっていました
私はチョコレートを買うくらいならポテトチップスを買いたいと思うほどポテトチップスが好きで、ポテチソムリエを自称しています
が、糖尿病に悪いのと、何より「やめられないとまらない」というえびせんエフェクト…つまりはその強い中毒性を警戒し、買うのをやめることにしました
大好きなポテチをやめたのに、なぜ同じく中毒性のあるこのアプリを続ける理由がありましょうや?(いやない)
週末が来る前に気付けば…いえ、薄々気付いてはいたのですが、週末の前にやめられていたら、良い週末を送れていたことでしょう
少し悔やまれますが、この週末を犠牲にしたことで踏ん切れたと思うことにしました
このアプリは言語学習における最も重要な継続性に着目していて、本来はとても素晴らしいものです
が、私は極端に走ってしまうので、このアプリと適切な距離感を構築できず、日常生活に支障が出てしまいました
特にオランダ語を楽しく始めたところだったので、ちょっと悲しいのですが、こうしてブログを書く時間や自分のために使える時間が増え、結果的には営団だった…今は東京メトロ…じゃなくて英断だったと思います
さよなら、duolingo
お久しぶり、自由な時間
でも語学学習自体は細々と続けていこうと思っています
このアプリでは語学の問題が出されるのですが、1つのレッスンを終えるごとに経験値がもらえます
その経験値は週間で集計され、その「勉強熱心さ」を競うリーグに入れられ、他の学習者と比較されます
10個ぐらいリーグがあり、上位7位までが昇格、下位7位までが降格となり、TOP3に入ると賞金が手に入ったりします
こういう経験値稼ぎやランキングに血道を上げてしまう私は、無課金にも関わらず課金勢に敢然と挑んだり、とにかく暇さえあれば語学の問題を解く…そんな生活を送っておりました
先週末も課金者を追い抜くべく、朝から晩までやっていたのですが、日曜日の夕飯時、ふと「…!?これは良くないわ」と気付きました
よくペットを飼う人はペットを飼っているのではなく、ペットのための生活…つまり餌を買ったり散歩をしたり、旅行に行けなかったり…を余儀なくされ、あたかもペットに飼われているかのようになってしまう…そんなことを聞いたことがあります
私も知らぬうちに、このアプリ中心の生活になっていました
私はチョコレートを買うくらいならポテトチップスを買いたいと思うほどポテトチップスが好きで、ポテチソムリエを自称しています
が、糖尿病に悪いのと、何より「やめられないとまらない」というえびせんエフェクト…つまりはその強い中毒性を警戒し、買うのをやめることにしました
大好きなポテチをやめたのに、なぜ同じく中毒性のあるこのアプリを続ける理由がありましょうや?(いやない)
週末が来る前に気付けば…いえ、薄々気付いてはいたのですが、週末の前にやめられていたら、良い週末を送れていたことでしょう
少し悔やまれますが、この週末を犠牲にしたことで踏ん切れたと思うことにしました
このアプリは言語学習における最も重要な継続性に着目していて、本来はとても素晴らしいものです
が、私は極端に走ってしまうので、このアプリと適切な距離感を構築できず、日常生活に支障が出てしまいました
特にオランダ語を楽しく始めたところだったので、ちょっと悲しいのですが、こうしてブログを書く時間や自分のために使える時間が増え、結果的には営団だった…今は東京メトロ…じゃなくて英断だったと思います
さよなら、duolingo
お久しぶり、自由な時間
でも語学学習自体は細々と続けていこうと思っています
消えた薬草サルチ 10
消えた薬草サルチ 09
消えた薬草サルチ 08
【胸糞注意】嘘のような悲しい現実の話【引き返せ】
皆様こんにちは、お久しぶりです
プライベートでショッキングなことがありました
まだ消化しきれておらず、心がザワザワしています
心臓が弱い方、ハッピーエンドでないと我慢できない方、暗い話、悲しい話題が苦手な方は、今すぐブラウザのタグを閉じて下さい
ここを読まれている方は覚悟を決めた方の筈です
本当に良い話ではないので、冗談ではなく、今からでもブラウザのタグを閉じることをお勧めします
では、長くなるかもしれませんが、書いていきます
私のボロアパートは、元々4世帯用に建てられている4階建ての建物です
最上階の私の部屋と最下階は間取りが違っており、おそらく家賃も安いことと思います
2階には大家さんの息子さん(以下、旦那さん)が奥様と一人の娘さんと住んでいます
1階は若い方が入れ替わりで住んでいたのですが、大家さんの強権発動でリフォームされて、内部で階段で繋げて旦那さん宅は2階と1階を使うことになりました
旦那さんは銀行員、奥様は幼稚園の先生、娘さんも大きくなって、マーケティングのインターンシップを始める…そんなことを聞いていました
私と歳の近い旦那さんと奥様に、色白で可愛らしい娘さん
しかも毎月の支出の中でも最大の出費である家賃を払わなくて良い…そんな彼らは「絵に書いたような勝ち組家族」に見えました
歳が近いこともあって「自分が真っ当に生きていたなら、彼らのようになっていたのかも…」と違った世界線の私自身と重ねたりしたものです
とはいえ、そこまで親しいわけではなく、会えばにこやかに挨拶をし、休暇に出るときや私のフィギュアを受け取ってもらったりしたときにお礼を言う…そんな関係でした
旦那さんは「優しいお父さん」といった印象で、にこやかで感じのいい人…そんな印象の人です
奥様はチャキチャキした感じで、幼稚園の先生にありがちな、自分にも他人にも厳しそうな「正義」を持った感じの方
チャキチャキな奥様を旦那さんの包容力で優しく受け止めている…そんな印象がありました
ところが、3階の人と話してみると、旦那さんは大家さんの家の人なのに、家のことで相談してもあまり真剣に取り合ってくれなかった…まるで自分には関係のないことのように聞き流された…と言っていました
私の旦那さんへの印象は逆にかなり良く、いつもにこやかに挨拶を返してくれ、娘さんにも優しく余暇にはスポーツを嗜む、理想のお父さんという感じでした
煙探知機の取り付けのときもきちんとやってくれましたし、雪かきの道具も毎年きちっと出してくれていました
月曜日…私は早番で、早朝から仕事に出ていました
水曜日に担当している研修生の先生の訪問があるため、結局帰ってきたのはいつもと変わらない時間でした
既に何事もなかったかのようになっていたのですが、私がいない間、アパートには色々な人が来ていたとのことです
3階の人が買い物から帰ってくると、娘さんが家に入れなくて困っていたのを見つけました
旦那さんたちの家は1階からも2階からも入れるのですが、どちらの錠も開けられません
1階外、階段を登ってバルコニーも閉まっており、まあどのみち錠がバカになっているのでは…と、業者を呼んだそうです
中では、旦那さんが首を吊って死んでいました
彼は妻と娘に自分の死体の発見者とならぬよう、鍵を壊したようです
(そうすると鍵の業者が中へ入っていくから…らしいです)
遺書も残していたそうです
計画的な自殺でした
奥様は階段に座り込んで、愕然としていたと聞きました
悲しみも深いようですが、自分と娘を遺して逝った勝手さに怒りも滲ませていた…とのことです
チャキチャキした元気な奥様に私はまだ会っていませんが、正直、なんと声をかけていいのかわかりません
数年前、旦那さんは自転車から落ちた時に首を痛めてしまい、その痛みが酷く、銀行をすでに辞めていたとのことで、鬱病も発症していたみたいです
それでも、娘さんや奥様の存在が死を思い留まらせるには十分でなかったのか…そう思わずにはいられません
資格を取って真っ当に働けるようになってから、仕事の忙しさや毎日の日課などに追われて、人と比べるようなことをしなくなりました
それでもスポーツ選手や芸術家などを除いた「普通の人」が到達できそうな絵本のような幸せの条件をいくつも満たしているように見えた旦那さん…
そんな彼も本人にしか窺い知ることのできない苦悩があったのでしょう
旦那さんは死に際し、周到に準備をしていたそうです
娘さんや奥様にも手紙を残し、葬儀のことや財産のことなど、細かく遺書に指示が書かれていたそうです
後でわかったことですが、既に10回ほど自殺を試みていたそうです
彼の死はもう既定路線で、もう時間の問題だったようです
これは私の勝手な考察ですが、旦那さんは今まで大きな「失敗」や「躓き」を経験しなかったのかもしれません
私は子供の頃、意識不明になったり何度か交通事故にあったりしたのですが、辛いことがあるとよく「あの時に死んでしまっていれば…ギリリ」と思ったものです
私は決して強い人間だとは自分で思っていませんが、今思うと辛かった経験で知らぬうちに強くなったように感じます
生きるのに必死の人は、自殺を考えたりはしない…と聞いたことがあります
便利になり、どんどん生きやすくなってきた世の中ですが、それ故に人間は生きるための強さを失ってきているのかもしれません
能力のない私は旦那さんや奥様のようにはなれなかったでしょうが、心の何処かで努力を続けて真っ当に生きていたら、自分もあんな感じだったかも…と考えたりしたこともありました
選ばれなかった選択肢の先を見た思いがします
私は負け組だったので、開き直って「もう好きなようにやってダメなら野垂れ死のう」と、それからは自分で決めて行動してきました
長くかかりましたが、やっと「人と違った道に踏み出してよかった」「私は幸せ」と思えるようになりました
糖尿病も、最初は「なんで私だけ…」と思ったものですが、今はそのおかげで健康維持に気を付けるようになって、むしろ良かったとさえ思っています
何がどうなるかはわかりません
私も若い頃、何度も死んでしまおうと思いましたが、結局最後は自分の責任で選択肢を選び、自分の足で次のパラグラフに進み、その選択が間違っていなかったと思えるようにその後も行動していく…そんなことぐらいしかできないのではないか…と今回のことで考えさせられました
病気になってはじめて健康のありがたみを知るように、こういう事があってはじめて自分の命が与える衝撃を知ったように思います
私は旅行が好きですが、旅行ばかりしていては旅行の刺激に慣れてしまいます
旅行はいつも楽しいですが、旅行から帰ってきた時にホッとすることもまた事実です
普段の職場との往復という退屈ながらも安全な日常が、いかに尊いものか…
そんなことを意識的に感じながら日々過ごしていこうと思い直しました
あらためて、旦那さんの御冥福をお祈りします
奥様と娘さんの心に、再び平穏が訪れますように
また、読者の皆様の幸せをお祈り致します
私も小さな幸せを噛み締めながら、頑張って生きていこうと思います
プライベートでショッキングなことがありました
まだ消化しきれておらず、心がザワザワしています
心臓が弱い方、ハッピーエンドでないと我慢できない方、暗い話、悲しい話題が苦手な方は、今すぐブラウザのタグを閉じて下さい
ここを読まれている方は覚悟を決めた方の筈です
本当に良い話ではないので、冗談ではなく、今からでもブラウザのタグを閉じることをお勧めします
では、長くなるかもしれませんが、書いていきます
私のボロアパートは、元々4世帯用に建てられている4階建ての建物です
最上階の私の部屋と最下階は間取りが違っており、おそらく家賃も安いことと思います
2階には大家さんの息子さん(以下、旦那さん)が奥様と一人の娘さんと住んでいます
1階は若い方が入れ替わりで住んでいたのですが、大家さんの強権発動でリフォームされて、内部で階段で繋げて旦那さん宅は2階と1階を使うことになりました
旦那さんは銀行員、奥様は幼稚園の先生、娘さんも大きくなって、マーケティングのインターンシップを始める…そんなことを聞いていました
私と歳の近い旦那さんと奥様に、色白で可愛らしい娘さん
しかも毎月の支出の中でも最大の出費である家賃を払わなくて良い…そんな彼らは「絵に書いたような勝ち組家族」に見えました
歳が近いこともあって「自分が真っ当に生きていたなら、彼らのようになっていたのかも…」と違った世界線の私自身と重ねたりしたものです
とはいえ、そこまで親しいわけではなく、会えばにこやかに挨拶をし、休暇に出るときや私のフィギュアを受け取ってもらったりしたときにお礼を言う…そんな関係でした
旦那さんは「優しいお父さん」といった印象で、にこやかで感じのいい人…そんな印象の人です
奥様はチャキチャキした感じで、幼稚園の先生にありがちな、自分にも他人にも厳しそうな「正義」を持った感じの方
チャキチャキな奥様を旦那さんの包容力で優しく受け止めている…そんな印象がありました
ところが、3階の人と話してみると、旦那さんは大家さんの家の人なのに、家のことで相談してもあまり真剣に取り合ってくれなかった…まるで自分には関係のないことのように聞き流された…と言っていました
私の旦那さんへの印象は逆にかなり良く、いつもにこやかに挨拶を返してくれ、娘さんにも優しく余暇にはスポーツを嗜む、理想のお父さんという感じでした
煙探知機の取り付けのときもきちんとやってくれましたし、雪かきの道具も毎年きちっと出してくれていました
月曜日…私は早番で、早朝から仕事に出ていました
水曜日に担当している研修生の先生の訪問があるため、結局帰ってきたのはいつもと変わらない時間でした
既に何事もなかったかのようになっていたのですが、私がいない間、アパートには色々な人が来ていたとのことです
3階の人が買い物から帰ってくると、娘さんが家に入れなくて困っていたのを見つけました
旦那さんたちの家は1階からも2階からも入れるのですが、どちらの錠も開けられません
1階外、階段を登ってバルコニーも閉まっており、まあどのみち錠がバカになっているのでは…と、業者を呼んだそうです
中では、旦那さんが首を吊って死んでいました
彼は妻と娘に自分の死体の発見者とならぬよう、鍵を壊したようです
(そうすると鍵の業者が中へ入っていくから…らしいです)
遺書も残していたそうです
計画的な自殺でした
奥様は階段に座り込んで、愕然としていたと聞きました
悲しみも深いようですが、自分と娘を遺して逝った勝手さに怒りも滲ませていた…とのことです
チャキチャキした元気な奥様に私はまだ会っていませんが、正直、なんと声をかけていいのかわかりません
数年前、旦那さんは自転車から落ちた時に首を痛めてしまい、その痛みが酷く、銀行をすでに辞めていたとのことで、鬱病も発症していたみたいです
それでも、娘さんや奥様の存在が死を思い留まらせるには十分でなかったのか…そう思わずにはいられません
資格を取って真っ当に働けるようになってから、仕事の忙しさや毎日の日課などに追われて、人と比べるようなことをしなくなりました
それでもスポーツ選手や芸術家などを除いた「普通の人」が到達できそうな絵本のような幸せの条件をいくつも満たしているように見えた旦那さん…
そんな彼も本人にしか窺い知ることのできない苦悩があったのでしょう
旦那さんは死に際し、周到に準備をしていたそうです
娘さんや奥様にも手紙を残し、葬儀のことや財産のことなど、細かく遺書に指示が書かれていたそうです
後でわかったことですが、既に10回ほど自殺を試みていたそうです
彼の死はもう既定路線で、もう時間の問題だったようです
これは私の勝手な考察ですが、旦那さんは今まで大きな「失敗」や「躓き」を経験しなかったのかもしれません
私は子供の頃、意識不明になったり何度か交通事故にあったりしたのですが、辛いことがあるとよく「あの時に死んでしまっていれば…ギリリ」と思ったものです
私は決して強い人間だとは自分で思っていませんが、今思うと辛かった経験で知らぬうちに強くなったように感じます
生きるのに必死の人は、自殺を考えたりはしない…と聞いたことがあります
便利になり、どんどん生きやすくなってきた世の中ですが、それ故に人間は生きるための強さを失ってきているのかもしれません
能力のない私は旦那さんや奥様のようにはなれなかったでしょうが、心の何処かで努力を続けて真っ当に生きていたら、自分もあんな感じだったかも…と考えたりしたこともありました
選ばれなかった選択肢の先を見た思いがします
私は負け組だったので、開き直って「もう好きなようにやってダメなら野垂れ死のう」と、それからは自分で決めて行動してきました
長くかかりましたが、やっと「人と違った道に踏み出してよかった」「私は幸せ」と思えるようになりました
糖尿病も、最初は「なんで私だけ…」と思ったものですが、今はそのおかげで健康維持に気を付けるようになって、むしろ良かったとさえ思っています
何がどうなるかはわかりません
私も若い頃、何度も死んでしまおうと思いましたが、結局最後は自分の責任で選択肢を選び、自分の足で次のパラグラフに進み、その選択が間違っていなかったと思えるようにその後も行動していく…そんなことぐらいしかできないのではないか…と今回のことで考えさせられました
病気になってはじめて健康のありがたみを知るように、こういう事があってはじめて自分の命が与える衝撃を知ったように思います
私は旅行が好きですが、旅行ばかりしていては旅行の刺激に慣れてしまいます
旅行はいつも楽しいですが、旅行から帰ってきた時にホッとすることもまた事実です
普段の職場との往復という退屈ながらも安全な日常が、いかに尊いものか…
そんなことを意識的に感じながら日々過ごしていこうと思い直しました
あらためて、旦那さんの御冥福をお祈りします
奥様と娘さんの心に、再び平穏が訪れますように
また、読者の皆様の幸せをお祈り致します
私も小さな幸せを噛み締めながら、頑張って生きていこうと思います